2012年11月4日日曜日

第一回討論集会報告 (北野誉・反天皇制運動連絡会)

一〇月二一日、一橋大学で「討論集会 街頭行動の自由を考える」がもたれた。主催は同実行委員会。三部構成で、第1部はパネルディスカッション、第2部はサンプリング映像と主催者のコメント、第3部がフリートークとなかなか多彩なつくりだった。
  この集会のテーマ設定やパネリストの人選には、ある種の「切実」さのようなものがあったと言っていい。毎週金曜日の首相官邸前行動をめぐる対立的な言説が、ネット中心に飛びかっているのは周知の事実。そこでは主催者による警察への協力や「日の丸」、「シングルイシュー」の名による「統制」が批判され、その批判者が「警察との無用の対立」を煽っていると批判される。そこには明らかな齟齬がある。
  第1部の発言者は木下ちがやさん、桜井大子(反天連の仲間なので敬称略)、太田昌国さん。木下さんは官邸前行動の「主催者」サイドに立っていると目されているが、桜井も太田さんも、批判は持ちつつも、官邸前行動はそれとして評価しているはず。それはおそらく、この日の集会を主催した多くの人にとっても前提だろう。拡大する運動の中で現われてきたさまざまな問題を、運動の「作風」の問題として話しあう場をもつこと、それを通じて可能性をさぐり、相互の関係性を少しでも風通しのよいものとしていくことが、「街頭行動の自由」一般について語ること以上に意識されていたと思う。
  二〇一一年から一二年にかけて、世界的に「民意」が沸騰する時間に入った、反原発運動もその流れにあるとする木下さんは、現在のデモを構成しているのは、三〇代・四〇代の比較的若いが「不安定」な層、反原発を含めた旧来の社会運動に参加してきたような中高年層、環境問題などのNGOの三層であるという。潜在的にあったこれらの動きが交叉し、顕在化する形で、六月から七月にかけて、「自由な行動」が一気に広がった。そしてそれは首都圏から「地域」へと広がっている。一つの地点だけに目を奪われるべきではない。
  桜井は、官邸前の「自由」と比較して、8・15反「靖国」行動の「不自由」について述べた。右翼を利用する警察への申し入れなど「自由のための条件」を少しでも広げるために努力はしているが、そういう自由を得るための行動の積み重ねのなかでしか、自由は手にしえないと発言。
  太田さんは、社会運動の中の少数派の問題、「シングルイシュー」の運動が七〇年代にどのように作り出され、それはどんな意味を持っていたのか、また、運動の中でのスローガン(ことば)と対話のありかたなどについて論じた。さらに、運動の中で運動それ自体が変貌していく可能性をも示唆した。
  パネリスト相互の討論、映像とフリートークも、端緒的なものであったが、とても考えさせられるものだった。「シングルイシュー」概念の違い、被害者意識が生み出す運動的な強さと限界、「生活保守」と「生命保守」、現場における「解放感」、運動のなかで取り落とされてきたもの、とりわけ福島で孤立させられている声とどうつながるか、など論点は多岐にわたった。
  スペースの都合で二点だけ。映像の中に「飼いならされた羊」「一匹、二匹と柵をのりこえはじめた」という表現があって、それを木下さんは「(目覚めていない)大衆/(先鋭的な)前衛」図式であると批判したが、むしろ羊とは、この「市民社会的秩序」を内面化し、あえて柵から飛び出そうとしない身体に馴致されてしまった全ての私たちのことではないのか。そして柵を越えるとは、映像にあった山谷の焚き火に象徴される生活の場、あるいはハプニング演劇や占拠など、まったく異なる街頭の使い方があるということへの誘いではなかったのか。
  もう一点、フリートークのなかで、反原発デモの被弾圧当該から、官邸前行動の「主催者」が救援に非協力的であったという具体的な批判があり、木下さんがこれに応答するという場面があった。そこでは齟齬が直接ぶつかりあっていた。このとき司会の鵜飼哲さんが、個別事象の批判ではなく会場全体で共有すべき問題へとひらいていくべく努力を重ねていた姿が、この集まりの基本姿勢を表わすものとして印象的だった。ここでは集会の主催者の一人がパネリストにヤジを飛ばす(これはアウトだろう)という場面もあった。だが、そういった点も含めて、議論はやっと入り口だな、というのが正直な実感だ。しかし、そのことにおいてこそ貴重な集まりだったといえるだろう。
 (北野誉・反天皇制運動連絡会)

●東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃とたたかう支援連絡会議『支援連ニュース』2012年10月27日号

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